人生とキャリアの桃鉄理論
桃太郎電鉄というゲームがある。サイコロを振って、物件を買って、ボンビーをなすりつけあうあれだ。
僕はあれが大好きで、10代で狂ったように友達とやりまくっていた時期があった。
桃鉄は運ゲー?
桃鉄が好きだと言うと、かなりの確率で言われる言葉がある。
「でもあれって結局運ゲーじゃん?」
つまり、サイコロとか、カードとか、ボンビーがキングになるかとかで決まるじゃん?という話だ
この言葉に僕はいつも全力で反論する。期待値に基づく確率計算、カードに購入&使用のタイミング、ボンビーをくらわないための備えと毎ターンの状況判断。
そういった「筋のいい判断」の積み重ねで、最終的には差がつく。実際にやっても、公式戦(3年間のモード)を数試合やれば、ほぼトータルでは勝っていた。
運という言葉を使う意味
本当のことをいうと、実際は桃鉄が運ゲーかどうかなんてどうでもいい。
僕は、安易に運という言葉を使うのが嫌いだ。時折、自分が理解できない、しようとも思えないスケールのものに「○○なんて運だよ」と言ってしまう人がいる。
友人とキャリアについて話してる時「Webサービスで成功するかなんて結局運だよね」という趣旨の発言をされて、ちょっとカチンときてしまったことがあった。その友人は電機メーカーの内定者で、僕は会社をやめて自分で事業をたちあげ始めたころだった。
「筋のいい判断」を繰り返せば、成功する
極端な言い方をするが、Webサービス開発は必然的に成功できる業種だと思う。
ユーザーに対するバリューとは何か?それが売上に結びつく条件は?こういったことを成功しているサービスや、ユーザーの観察をし考え抜く。その上で、プロモーションもCVRも、データに基づき改善し続ける。こういった積み重ねで「筋のいいサービス」を作ることは可能だと思うのだ。
そして、開発の全体像を理解し、コストのかかる部分を抑え、それなりの資本を準備すれば、何度もバッターボックスにたつことができる。
僕がWeb業界を選んだ理由の一つが、この小資本でできる+スピード感の組み合わせで、自分が考える筋のいい試行を、短い人生の中で十分な回数繰り返すことができるという点だった。
運なんて言葉は、成功者が謙遜で使うためのものだ。外部の人間や駆け出しが使うのは、真面目に考えている人間に失礼だ。もちろん上記を踏まえても失敗者がおり、自分がそうなりうるのは百も承知だが、それは「筋のいい判断」ができていなかったと考えなければ、そこで思考停止だ。
そして、「こんなん買える時くるのかよ!」と笑ってしまう桃太郎ランドも、地道な積み重ねで買える日がくることも知っているのだ。