モウリーニョの情熱。勝利への姿勢と人生の哲学

私の人生哲学はサッカー哲学に似ている。それは正直、率直、明確、そして野心的であるべきということ。私はこれらの特徴を絶対に失いたくない

ジョゼ・モウリーニョ

最初に断っておくと、僕はサッカーをヘビーに見る人間ではなく、翻訳記事を元にモウリーニョのストーリーを想像で楽しんでいるに過ぎません。

モウリーニョは賭けに勝とうとしている

モウリーニョはこれまでの実績や名声を不意にしかねないギャンブルに挑戦し、勝とうとしている。
彼は明確な優先順位をつけそのギャンブルに挑んだ。
タイトル > その他
その他とは、サッカーのスタイルであり、クリーンさであり、つまるところ大部分は、「レアルマドリードの品格」である。しかもライバルは、「哲学」を貫き、美しいサッカーで全盛を迎えたバルセロナである。その対比からは、「正義のバルサ」VS「悪のマドリー」という構図すら透けて見える。リーガを独走しても、サポーターから批判があった。
しかし、モウリーニョにすれば、優先順位は明確だったと思う。スタイルや、品格にこだわっても、結果が出なければ解任される。それはモウリーニョの側近だったAVBをあげるまでもなく明らかだ。そして、結果を出しさえすれば、仮に別の理由で解任されても、監督としての権威、名声に大きなダメージがないことも経験から良く知っていたはずだ。記憶は薄れるが、記録は残る。記録とつながった記憶ほど、残りやすい。
そうやって、全てを「勝つこと」に集中しても、史上最強と称されるバルサに勝てるかは、わからなかったはずだ。
しかし、モウリーニョは野心を持ってそれに挑み、今成功を手中に収めようとしている。「最も重要」であるリーガを直接対決での勝利と共に制そうとしているのだ。直接対決の結果や内容を見るに、マドリーはバルサより強いと思う人は少数はかもしれない。だが、バルサも共にCLで敗退したこともあり、リーガさえとれば、今シーズン「勝利」したのはマドリーといえるだろう。
「一番大事なもの」のために、「重要なもの」を捨て去る。優先順位を明確にして、確率を最大に高めた上で、不可能と思われることにチャレンジし、成し遂げる。レアルマドリードでのモウリーニョはクレバーでかっこいい。おそらく、彼以外にこの早さでの打倒バルサはなし得なかっただろう。

モウリーニョに見えた焦りと人生哲学

今シーズンと昨シーズン、レアルマドリードの選手は、多くのラフプレーと審判批判を見せた。モウリーニョ自身も、昨CLでの執拗な審判批判、ビラノバへの目つぶしなど、多くの醜態をさらした。
これらの行為は許されざるものである。だが、ここでは一旦その評価を脇に置き、その動機に注目したい。
結果はどうあれ、ある意味では戦略的なものと解釈できるのかもしれない。つまり、闘争心と敵意を煽り、チームのモチベーションを最大に引き出すことを狙ったものであり、際どいプレーにおける審判へのプレッシャーを狙ったものであると。
しかし、これはモウリーニョの人生哲学の現れなんじゃないかと僕は思う。つまり、彼は常に正直、率直、明確だったのだ。
主観も客観もごちゃ混ぜににして、率直にチームの健闘を讃えもすれば、審判の判定に対する違和感も口にする。自らの野心が、圧倒的なバルセロナに阻止されそうになれば、敵意を、そして隠しきれない焦りをむき出しにして表現する。
冒頭の不等式にあえて加えるなら、
人生哲学 > タイトル > その他
をぶれることなく貫いていたのかなと。
彼を見ていて「海外サッカー選手のコメント」群を初めて見たときに感じた強烈な違和感を思い出した。翻訳の口調もあれど、模範的、優等生的なそれは、荒々しいサッカー選手のものとは思えなかった。いつしかそれをスポーツマンシップの現れとして当然のものとして見ていたけど。